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▲△▲(19(ジューク)/果てのない道)▲△▲
19(ジューク)は、ネオ・フォークの生みの親であり、岡平健治と岩瀬敬吾による、日本のフォークデュオである。 デビュー当初はビジュアルプロデュースと作詞を326(みつる)が担当し、メンバーとして参加していた。そして、多くファンに惜しまれながら、2002年3月に解散した。
■メンバー情報等(氏名、生年月日、出身、血液型、愛称等)
岡平健治(おかひら けんじ)
ボーカル、ギター、ハープ担当。現在は3B LAB.☆Sメンバーであり、ソロ活動も行っている。
広島県呉市出身。
岩瀬敬吾(いわせ けいご)
ボーカル、ギター、担当。現在はソロで活動中。
広島県賀茂郡黒瀬町(現:東広島市)出身。
■「19」結成について
高校卒業後、健治は広島で就職して働き始めたが、ミュージシャンの夢が諦めきれず、少しの期間で退職し、大阪へ行った。なんで東京ではなかったのか?それは、単にお金がなかったため。そして、敬吾は音楽で生活できる夢を目指して上京し、音楽専門の学校に通ったが何か違うと感じ中退した。
この頃は、二人は電話を使いお互い曲を聴かせ合っていたと言います。その後、健治は神奈川県川崎市の柿生へ移り住む。
二人が移り住んだ日は、敬吾が3月28日、健治は8月29日であり、お互いの誕生日であった。
その後、下北沢などのライブハウスで活動し、イラストライター326と出会う事となる。3人はすぐに意気投合し「19」を結成し、すぐにメジャーデビューを果たした。
19(ジューク)の名前の由来は、「結成当時、健治と敬吾が19歳だった」「ジュークボックスにちなんだ」などの説があるが、真実は不明である。
■解散について
人気絶頂期の2002年2月、同年3月末に解散することを発表し、お互いの音楽性を尊重するためとの理由だった。
それから数年経ち、健治はこの解散を「大人たちへの報復だった」と書き記している。本当の気持ちはかなり後悔しているとの事だった。一方では、解散報告をしたラジオ番組で「前向きに」解散することを何度も繰り返していた敬吾は、解散後に「19」についてや解散のわけのコメントなど一切口に出してはいない。
■再結成について
「19」の再結成の噂は、健治が3BLAB.☆Sで10年は活動するし、敬吾はソロシンガーとしてアルバム制作中心の活動を行うと、否定とも取れる発言をした。
「19 ?すべての人へ」が出した後の健治の日記によれば「19は再結成するつもりはないし、一時は3B LAB.☆一筋で行く。敬吾とは何年後かにどこかの小さいライブハウスでライブしたいと書き残している。そして、2007~2008年にかけ行われた健治のソロツアーでは19の復活はない断言した。
■PV:あの紙ヒコーキくもり空わって (説明に歌詞付き)
■シングル情報
あの青をこえて (1998年11月21日)
あの紙ヒコーキ くもり空わって (1999年3月20日)
すべてへ (1999年10月21日)
『果てのない道』 (2000年4月21日)
水・陸・そら、無限大 (2000年7月5日)
背景ロマン (2000年11月29日)
足跡 (2001年4月25日)
たいせつなひと (2001年8月22日)
蒲公英 -たんぽぽ- (2002年3月21日)
■アルバム情報
音楽 (1999年7月23日)
無限大 (2000年7月26日)
up to you (2001年9月27日)
19 BEST●青 (2002年4月27日)
19 BEST●春 (2002年4月27日)
18 ?卒業ライフは入ってない? (2002年7月10日)(少年フレンド名義 1998年3月~5月録音未発表音源)
19 BEST LIVE Audio use only (2002年7月24日)
19 ?すべての人へ (2005年10月19日)
コンプリートBEST 青&春 (2007年2月21日)
ちなみに解散前までに出された音源、映像数は再発を除くと丁度19になる。
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